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【中学受験 歴史6】日本の歴史 – 中世(平安時代3・鎌倉時代)

中学受験 歴史 日本の歴史 中世 平安時代 鎌倉時代

中学受験 歴史シリーズ。第6回目は『日本の歴史 – 中世(平安時代3・鎌倉時代)』です。

 

前回の講義『日本の歴史 – 古代(奈良時代2・平安時代1・平安時代2)』では、奈良時代からで平安時代の文化や政治などについて見てきました。

 

前回、平安時代の学習ではいよいよ武士が登場しました。ただし、まだ政権を持っているのはあくまでも天皇、つまり朝廷側でした。平氏は権力を振るったものの、政権を奪還するには至っていません。しかし、今回学習する鎌倉時代からしばらくの間、日本の政治は武士によって行われていきます。源氏が平氏に打ち勝ち、源氏が新たな国の仕組みを作ります。ここで歴史の大きなくくりも、原始から中世に代わり、日本の政治体制が大きく転換していることを示しています。鎌倉時代は昨年の大河ドラマの題材でもありました。大河ドラマは入試問題作成のネタとしてよく使われます。平安時代末期から鎌倉時代の歴史の流れ、源平の戦い、そして源氏の終焉、つまり鎌倉時代の終わりまでを一気に学習していきましょう。

 

それでは確認していきましょう。

 

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前回までの学習内容【おさらい】

本題に入る前に、前回までに学習したことをおさらいしましょう。歴史の学習は連続性が重要です。歴史の分野では毎回、復習問題をまず解いてから始めましょう。

 

 

問題1 794年、律令制度の再建を図るために都を【  】に移した天皇は【  】である。

 

問題2 8世紀後半、東北地方の蝦夷の乱を平定した坂上田村麻呂は【  】という役職に任じられていた。

 

問題3 比叡山に【  】を建てた【  】は【  】を広めた。

 

問題4 高野山に【  】を建てた【  】は【  】を広めた。

 

問題5 9世紀末、唐が衰えてくると【  】の進言により【  】年に遣唐使を廃止した。

 

問題6 10世紀前半、【  】が関東地方で、【  】が瀬戸内海一帯で反乱を起こした。

 

問題7 藤原氏は天皇が幼いときは【  】として、成人した後は【  】の役職に付き、権力をふるった。

 

問題8 問7のようなやり方の政治を【  】と呼び、藤原【  】・藤原頼道親子の時代に全盛を迎えた。

 

問題9 地方の豪族は土地を貴族や寺院に寄進して、税を納めなくても良い【  】や土地への立ち入りを禁じる【  】を手に入れた。

 

問題10 1086年に天皇の位を譲り、院政を始めた上皇は【  】である。

 

問題11 1156年、天皇と上皇の対立に藤原氏一族の内乱が結びついて起きた戦乱を【  】と呼ぶ。

 

問題12 源氏と平氏が対立して起こった平氏政権の出来るきっかけとなった戦乱を【  】と呼ぶ。

 

 

解答をみる

 

解答1  問1. 平安京・桓武天皇 問2. 征夷大将軍 問3. 延暦寺・最澄・天台宗 問4. 金剛峯寺・空海・真言宗 問5. 菅原道真・894 問6. 平将門・藤原純友 問7. 摂政・関白 問8. 摂関政治・道長 問9. 不輸の権・不入の権 問10. 白河上皇 問11. 保元の乱 問12. 平治の乱

 

 

 

平安時代3

平清盛

平氏政権

朝廷内で徐々に力を増していった平氏ですが、その最盛期は平清盛の時代です。そのやり方は、かつて藤原氏がやったように、娘を天皇に嫁がせ、その子供を天皇として即位させ、清盛が天皇の補佐として、事実上の権力を握るというものでした。

 

清盛の政権掌握

1167年、平清盛は太政大臣(※)になる。清盛、娘の徳子を高倉天皇の中宮へ。孫の安徳天皇を3歳で即位させる。さらに一族のものを高位高官に就かせ、全盛期へ。清盛の権力は絶対的なものに!!

 

※太政大臣:律令制下での最高の官職・天皇の補佐(摂政とほぼ同じ)

 

平家物語冒頭

  • 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」

    訳:盛り栄える者も必ず衰える 

 

~~~~~~~略~~~~~~~

 

  • 「ま近くは、六波羅の入道前太政大臣朝臣清盛公と申しき人のありさま、伝へ承るこそ心も詞も及ばれね。」

    訳:清盛と言う人の有様は、想像を絶するものであり、表現する言葉も無い。

 

後白河上皇幽閉(1179年)。貴族の官職を奪い処罰。

 

 

平家の有名なセリフ

  • 「此一門にあらざむ人は皆非人なるべし。」 (平時忠)

    訳:平家以外の者は人間でない。

 

これは、平清盛の一族が、昔からの貴族たちもかなわないほど栄華を極めていることを表している。

 

日宋貿易

 

平家は単に権力を握って栄華を極めただけではありません。経済基盤を強める為、中国との交易を始めました。公の中国との交流は894年に遣唐使が廃止されて以来のことになります。日本で最初の人工港を博多に築き貿易を本格化させ、航路の整備や入港管理を行うようになります。1173年には平氏の本拠地でもある福原の大輪田泊(現在の神戸港の一部)を拡張し、ここが貿易の中心となりました。

  • 輸出:銅・日本刀・木材など。
  • 輸入:宋銭や書籍など。利潤は平家の経済基盤に。

 

平氏滅亡

壇ノ浦の戦い

 

栄華を極めた平氏ですが、その傍若無人な振る舞いから当然ながら打倒平氏の機運が高まります。ここで再び現れるのが源氏です。かつて、平氏も源氏も朝廷内の争いごとの終結の為に、共に戦ってきましたが、後白河法皇に気に入られた平氏に対し、源氏は冷や飯を食わされてきました。後に鎌倉幕府を開くことになる源頼朝は、伊豆に流されながらも、反撃のときを臥薪嘗胆待っていたのです。

 

伊豆にて源頼朝の挙兵(1180年)

例)富士川の戦い 1180年 源頼朝vs平惟盛 ※水鳥の羽音で平家敗走

 

源義仲(木曽義仲)上洛 (1180年)

京都一番乗り、平家追放! ※但し京都の治安は回復せず。義仲の悪政が原因。頼朝は義経に義仲追討令(義経は元々京都の鞍馬寺に預けられていた為)を出す。以後、義経の活躍が続く。清盛は高熱により、1181年死去。

 

武蔵坊弁慶とは?

「弁慶の泣き所」という慣用表現でもお馴染み、豪傑の代名詞でもある弁慶は、義経に仕えた比叡山の僧兵(悪僧)とされています。山奥で修行を重ねた荒法師で、文学作品において超人的活躍が描かれていますが、実在したかは不明です。

 

義経の活躍

一の谷の戦い(1184年)

逆落とし(崖を馬に乗ったまま下って奇襲) 兵庫県

 

屋島の戦い(1885年)

那須与一が船に乗っている平氏が持つ扇の的を射る

 

壇ノ浦の戦い(1885年)

水中戦。関門海峡にて源平最後の戦い。安徳天皇入水(6歳)。三種の神器(※)も海中へ。平家滅亡。

 

(※)三種の神器:皇位継承と同時に継承される鏡・剣・玉。権力の印。このとき、鏡と玉は源氏によって回収された。しかし、頼朝は活躍を続ける義経に対し納得しない。いずれ自らも倒されるのではという疑念を抱くようになる。

 

義経追討 

義経追討の勅許(1185年) 義経朝敵となる。義経追討のため、全国に守護、郡・荘園ごとに地頭を設置。

  • 守護:国司と同じ役目
  • 地頭:郡司・荘園領主と同じ役目

義経、奥州藤原氏のもとへ逃げる。 ※奥州藤原氏は頼朝の脅威。

 

1189年、謀略により義経は自害。同年奥州藤原氏も頼朝の手によって滅亡。

 

鎌倉時代

天皇を中心とした役人組織のある政府や、その政治を司る地域を朝廷と呼ぶのに対し、武士の長(征夷大将軍)を中心とした武士政権、またその政治の中心地を幕府と呼びます。平家を滅ぼした源義経は、源頼朝に倒され、源頼朝は1192年に後鳥羽天皇から征夷大将軍に任命されました。征夷大将軍とは、本来、東北地方(蝦夷)を制圧するためにおかれた役職でしたが、平安時代末期になると、事実上の最高権力者という意味合いに変わってきました。つまり、源頼朝は後鳥羽天皇から政治権力を任されたということです。つまり、これをもって鎌倉幕府が成立し、鎌倉時代の幕開けとなるのです。そして、これより江戸時代まで武家政権が続きます。

 

 

日本の歴史についてよく出題される問題を少し解いてみましょう。

 

 

問題 教科書によっては、鎌倉時代の始まりを1185年としているものもあります。それは何故でしょうか?何を基準としているのか、考えてみましょう。

 

解答をみる

 

解答  平家が滅亡した1185年の壇ノ浦の戦いを基準としているから。

 

 

鎌倉幕府のしくみ

鎌倉幕府のしくみ

 

※執権と六波羅探題は後に設置。

 

封建制度

土地を仲立ちにした将軍と御家人の主従関係です。御家人は将軍の為に働き、戦い(奉公)、そのほうびとして将軍は御家人に土地を守ったり、与えたりしました(御恩)。なお、現在の一生懸命という言葉は、この鎌倉時代の一所懸命が語源となっています。

 

封建制度

 

執権政治

源頼朝が鎌倉幕府を開いたものの、源氏による政治の運営はそう長くは続きませんでした。権力は、わずか数年で、源頼朝の妻である北条政子に奪われてしまいます。北条政子は尼将軍とも呼ばれ、頼朝の妻でありながら、頼朝を暗殺し、子孫たちも謀略により死亡し、強い力を持つようになりました。日本三大悪女のうちの一人としても数えられています。

 

北条政子

 

頼朝暗殺(1199年)落馬による。主犯は妻の北条政子と言われている。その後、息子、頼家、実朝と相次いで死亡(暗殺)。源氏断絶。

  • 頼家18歳で将軍(二代将軍) 21歳で没
  • 実朝12歳で将軍(三大将軍) 27歳で没

 

執権を設置(1203年) 

将軍の補佐(事実上の権力者、摂政の状況と同じ)。なお、4代将軍以降は皇族や貴族(摂関家)から登用した宮将軍又は摂家将軍(名ばかりの将軍)。

 

北条泰時、御成敗式目制定(1232年)

武家初の法律。

 

承久の乱(1221年)

実朝暗殺後、北条氏が力を強めたため、当然ながら朝廷との関係が不安定になります。特に幕府は皇族から将軍を出すように要求し、朝廷側は拒否。やむなく摂関家から将軍を出すなど、朝廷との関係は悪化していました。そんな中、頼朝を征夷大将軍に任命した後鳥羽上皇が打倒北条氏を掲げ、立ち上がります。

 

後鳥羽上皇挙兵

しかし、東国武士を味方に出来ず惨敗。

 

 

政子が御家人の前で説教した有名な言葉

「みな、心をひとつにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。今は亡き頼朝様が朝敵(平家)を征伐し、関東に鎌倉幕府を開いて以降、官位が上がり、十分な俸禄が与えられ、不自由なく暮らせるようになりました。この恩は、海よりもまだ深く、山よりも高いのです。名誉を大事にする者は、京都に向かって出陣し、逆臣を打ち取り幕府を守りなさい。もし、上皇側へ就きたいという者は、今すぐ名乗り出なさい。」

 

これを聞いた御家人達は皆感涙し、朝廷側に付くと言う者はひとりもいなかったといいます。北条政子のこの説教により御家人達の士気は高まり、朝敵となることへの恐れも取り除かれました。

 

 

後鳥羽上皇、隠岐へ配流。幕府、六波羅探題を設置。朝廷の監視、京都の警備のため。上皇側についた貴族や西国武士の領地を取り上げ、東国の御家人を新たに地頭に任命したり、土地を恩賞として与えた。

 

 

農民のくらし

中世夢が原

 

これまで、人々(農民)は朝廷に税金(租庸調など)を納め、それを資金として朝廷の皇族や貴族たちが優雅な暮らしをしていたわけですが、では、武士や幕府は何を資金源に、どのように暮らしていたのでしょうか。また、政治の権力は幕府に移ったものの、皇族や貴族が消えたわけではありません。義経追討を理由に、幕府は守護、地頭を配置し、彼らに地方の自治を任せました。しかし、これは従来の国司などと仕事が重なり、争うが発生し、これを解決する必要に迫られました。また、農民たちはどのように税金を納めていたのでしょうか。

 

土地の二重支配

国司と守護、荘園領主=地頭の職務が重なり、税金等の取り分を巡って争う。土地を二分割して、互いの領有権を認め、侵さないことで解決。この仕組みを下地中分と呼ぶ。

  • 国司=守護
  • 荘園領主=地頭

 

武士の生活

  • 普段:農民を使って農業を営む。簡素な生活。自らは武芸の訓練。 ※流鏑馬・笠懸など
  • 有事:いざ鎌倉!将軍に奉公する。

 

流鏑馬

 

惣領制

主要な所領や財産を継承している男子のことを惣領という。惣領はその他の男子(庶子)や女子を統率して幕府や荘園領主に奉仕していた。この惣領(首長)を中心とする自治の仕組みを惣領制と呼ぶ。祭や葬式も惣領が執り行う。血縁的統制により、首長と庶子が繋がり、非常時は団結して戦う。土地は分割相続。

 

農村の変化

鉄製の農具が普及。草や木の灰を用いた肥料で生産性は向上する。西日本を中心に二毛作が始まる。裏作は麦。しかし、荘園領主と地頭から二重の年貢や労役を課せられた。

 

鎌倉幕府の衰退

元寇

 

源氏から北条氏の手に移った鎌倉幕府ですが、そう長くは続きませんでいた。それは外国による襲撃です。四方を海に囲まれている日本は、朝鮮と戦いがあったとはいえ、日本の沿岸すぐ近くまで外国が接近してくることは稀でした。一体何が起きたのでしょう?

 

元寇(モンゴル襲来)

モンゴル帝国:チンギスハンが統一。1206年。孫のフビライハンが都を北京に移し、元を建国。日本へも従属を要求。当時の執権、北条時宗が拒否。

 

文永の役(1274年)

元軍(高麗との連合軍)が博多湾岸へ上陸。戦闘方法の違いで、幕府軍は苦戦。但し暴風雨のため、元軍退却。

  • :集団戦法、火薬(てつはう)・毒矢などの使用
  • 日本:一騎打ち、弓矢

博多湾に石塁を建設して対策した。

 

弘安の役(1281年)

元が南宋を滅ぼし、再び侵攻。再び暴風雨に遭い、元軍は退却。神風が吹いた??結果、九州に鎮西探題(九州の御家人の統率)設置。西国の幕府勢力を強める。しかし、十分な御恩を御家人に与えることが出来ず(勝利したとはいえ、海外の侵略軍を撃退しただけなので、与える没収地が無い)、出費と犠牲のみが参加御家人の負担になり、不満が徐々に高まるようになった。

 

鎌倉幕府の滅亡

三方を山、一方を海によって囲まれた鎌倉幕府ですが、元寇をきっかけに幕府と御家人の関係性は崩れ、遂に滅ぼされることになりました。御家人は元寇以外でも、貨幣経済の発達と分割相続による所領の細分化で困窮化が進んでおり、幕府は徳政令(借金の帳消しと認める令)を出す事態となりました。しかし、効果はほとんど上がりませんでした。

 

永仁の徳政令:日本で最初の徳政令。幕府は御家人との関係を修復する為。御家人同士が売却して20年以内の土地は無償で返還。御家人が庶民に売却した土地は年限に関係なく無償で返還するという内容。しかし、御家人から土地を買い、お金を貸した者が不利になる。よって、御家人に土地を担保にお金を貸してくれる人がいなくなり、また幕府への不信感が高まった。

 

後醍醐天皇の挙兵

後醍醐天皇は天皇主導の政治を行うために、近臣とともに討幕計画を企てます。二度の失敗を経ても、執念で鎌倉幕府滅亡を成功させた人物です。

  • 1324年の討幕計画:六波羅探題の襲撃を試みるも、事前に密告され失敗。(正中の変)
  • 1331年の討幕計画:これも事前に密告され失敗。天皇捕縛、脱走、その後隠岐へ配流。(弘安の変)
  • 1333年に隠岐脱出:鎌倉幕府へ不満を持つ武士を集め、再び討幕を企む。

 

活躍した武士
  • 楠木正成:河内国の悪党
  • 足利尊氏:幕府を裏切り、六波羅探題攻略
  • 新田義貞:鎌倉を陥落。干潮の時刻に、海側(稲村ケ崎)から鎌倉を攻略

鎌倉幕府滅亡。

 

鎌倉時代の文化

鎌倉時代は、その時代背景を反映して、これまでの伝統文化をもとにしながらも武士や庶民の気風をも反映した、素朴で質実、かつ力強さをともなった新しい文化が育まれてきました。また、仏教もこれまでの貴族中心の信仰から、武士や庶民から信仰される新しい宗派が、日本人の開祖によっても生まれてきました。

 

文学

  • 軍記物「平家物語」:琵琶法師によって広められた
  • 随筆「方丈記」:作者は鴨長明
  • 「徒然草」:作者は吉田兼好

建築

  • 東大寺南大門

東大寺南大門

 

彫刻

  • 金剛力士像(東大寺南大門の下に設置):運慶・快慶からによる
  • 円覚寺舎利殿(鎌倉)

金剛力士像

 

円覚寺舎利殿(鎌倉)

 

鎌倉仏教

  • 浄土宗・・・開祖:法然
  • 浄土真宗・・・開祖:親鸞
  • 時宗・・・開祖:一遍 踊り念仏で民衆に布教
  • 法華宗・・・開祖:日蓮 題目「南無妙法蓮華経」を唱える
  • 臨済宗・・・開祖:栄西 ※禅宗、宋から伝えられた 武士からの信仰
  • 曹洞宗・・・開祖:道元 ※禅宗、宋から伝えられた 武士からの信仰

 

新しい仏教の宗派

 

 

歴史の学習

中学受験の多くを占める歴史は、年表や人物名など暗記部分が大量になります。年代ごとにまとめたり、人物にフォーカスして時代背景を学んだり、文化財や地理的要素から歴史を探るという方法もあります。膨大な知識が必要となる歴史ですが、興味のある角度から切り取っていくと案外スッと覚えることができます。

 

No. テーマ 内容
1 中学受験 歴史 日本の歴史 旧石器時代 縄文時代旧石器時代・縄文時代
旧石器時代、縄文時代の暮らしや文化を解説。
2 中学受験 歴史 日本の歴史 古代 弥生時代弥生時代
古代、弥生時代の暮らしや文化を解説。
3 中学受験 歴史 日本の歴史 古代 古墳時代 飛鳥時代古墳時代・飛鳥時代1
古代、古墳時代、飛鳥時代、氏姓制度、古墳時代の終焉から
聖徳太子の時代、飛鳥時代の始まりを解説。
4 中学受験 歴史 日本の歴史 古代 飛鳥時代 奈良時代飛鳥時代2・奈良時代1
古代、飛鳥時代、奈良時代、大化の改新、平城京、
聖武天皇と仏法などを解説。
5 中学受験 歴史 日本の歴史 古代 奈良時代 平安時代 平安時代奈良時代2・平安時代1・平安時代2
古代、奈良時代、平安時代、藤原氏の摂関政治、
浄土真宗、武士の台頭、源氏の進出を解説。
6 中学受験 歴史 日本の歴史 中世 平安時代 鎌倉時代平安時代3・鎌倉時代
中世、平安時代、鎌倉時代、平氏、封建制度、
執権政治、承久の乱暮を解説。
7 中学受験 歴史 日本の歴史 中世 室町時代室町時代
中世、室町時代、南北朝の動乱、
東アジアの情勢、経済、産業を解説。
8 中学受験 歴史 日本の歴史 中世 戦国時代戦国時代
中世、戦国時代、都市の発展、ヨーロッパの
状況や文化を解説。
9 中学受験 歴史 日本の歴史 中世 安土桃山時代安土桃山時代
中世、安土桃山時代、織田信長、豊臣秀吉、
徳川家康の天下統一を解説。
10 中学受験 歴史 日本の歴史 近世 江戸時代江戸時代1
近世、江戸幕府の成立、外交、鎖国、
徳川綱吉の時代を解説。
11 中学受験 歴史 日本の歴史 近世 江戸時代江戸時代2
近世、江戸時代、産業の発展と文化、
三大改革を解説。
12 中学受験 歴史 日本の歴史 近世 江戸時代江戸時代3
近世、江戸時代、ヨーロッパ諸国の市民革命、
産業革命を解説。
13 中学受験 歴史 日本の歴史 近世 江戸時代江戸時代4
近世、江戸時代、ペリー来航、大政奉還、
江戸幕府滅亡を解説。
14 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 明治時代明治時代1
近世、明治時代、明治維新、富国強兵、
文明開花を解説。
15 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 明治時代明治時代2
近世、明治時代、西南戦争、大日本帝国憲法の制定、
立憲国家を解説。
16 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 明治時代明治時代3
近世、明治時代、日清・日露戦争、産業革命、
日本の領土を解説。
17 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 大正時代大正時代
近代、大正時代、第一次世界大戦、
大正デモクラシーを解説。
18 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 昭和時代昭和時代1
近代、昭和時代、、関東大震災、満州事変、
日中戦争、世界恐慌を解説。
19 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 昭和時代昭和時代2
近代、昭和時代、領土、民主化政策、
第二次世界大戦を解説。
20 中学受験 歴史 日本の歴史 近代 昭和時代昭和時代3
近代、昭和時代、高度経済成長、第一次石油危機、
戦後の国際関係を解説。
21 中学受験 歴史 日本の歴史 現代 平成平成1
現代、平成、バブル崩壊、冷戦、
文化、経済を解説。
22 中学受験 歴史 日本の歴史 現代 平成 令和平成2・令和 現代、平成、令和の経済、政権交代、東日本大震災など
日本を取り巻く環境を解説。

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