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【中学受験 歴史3】日本の歴史 – 古代(古墳時代・飛鳥時代1)

 

中学受験 歴史シリーズ。第3回目は『日本の歴史 – 古代(古墳時代・飛鳥時代1)』です。

 

前回の講義『日本の歴史 – 古代(弥生時代)』では、縄文時代から弥生時代の家・食料・生活・社会の変化について見てきました。

 

前回の学習で、弥生時代後半までに日本の元となる部分が徐々に形作られてきたことがわかりました。そして、今回の学習では、ついに天皇が登場し、本当の意味での日本の歴史が始まります。天皇によって統治されてきた日本の歴史は、いわば日本の公式歴史書でもある、奈良時代につくられた「古事記」・「日本書紀」によってまとめられています。今回勉強する古墳時代、飛鳥時代の区分けは明確ではありませんが、古墳時代の後期に日本の都が飛鳥に移ったことは、これら歴史書からも明らかになっています。また、遺跡の登場は減る一方で、現存する神社仏閣や、歴史書に書かれている事実と年の正確な暗記が必要になります。心してかかりましょう。

 

それでは確認していきましょう。

 

 

 

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前回までの学習内容【おさらい】

本題に入る前に、前回までに学習したことをおさらいしましょう。歴史の学習は連続性が重要です。歴史の分野では毎回、復習問題をまず解いてから始めましょう。

 

 

問題1 写真Aの土器は【  】である。

 

問題2 写真Aの特徴は形が【  】で、薄くて、色が【  】っぽい。

 

問題3 縄文時代まで使われていた打製石器に代わり、弥生時代になると【  】石器が使われるようになった。

 

問題4 紀元前4世紀ごろに大陸から【  】が北九州に伝わり、計画的に食糧を生産できるようになった。

 

問題5 弥生時代の人々は、収穫した稲の貯蔵の為に【  】を作った。

 

問題6 弥生時代には大陸から鉄器の他に祭りや装飾品として使う【  】も伝えられた。

 

問題7 1世紀の半ば、倭の奴国王は、中国の皇帝から【  】を授かった。

 

問題8 【  】は中国の魏志「倭人伝」には3世紀に30ほどの国を従えていて、女王【  】が魏に遣いを送ったと記されている。

 

問題9 弥生時代に鉄器は主に【  】や工具として使われた。

 

問題10 稲を収穫する際には【  】が使われた。

 

問題11 8万㎡を越えるの水田跡が発掘された静岡県の遺跡は【  】である。

 

問題12 日本最大級の環濠集落跡が発掘された佐賀県の遺跡は【  】である。

 

問題13 弥生時代の遺跡からは、矢の先端部分である【  】が刺さったままの骨も発掘されている。

 

 

解答をみる

 

解答1  問1. 弥生土器 問2. 簡素・赤 問3. 磨製 問4. 稲作 問5. 高床式倉庫 問6. 青銅器 問7. 金印 問8. 邪馬台国 問9. 武器 問10. 石包丁 問11. 登呂遺跡 問12. 吉野ケ里遺跡 問13. 矢じり

 

 

 

関連記事【中学受験 歴史1】日本の歴史 – 原始・古代

関連記事【中学受験 歴史2】日本の歴史 – 古代 (弥生時代)

 

 

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古墳時代(3世紀末~6世紀ごろ)

ヤマト政権(大和朝廷)の国家統一

弥生時代末期には、遺跡調査から、九州北部を中心とする政治勢力と奈良盆地を中心とする政治勢力が存在していたことがわかっています。前回学習したように、3世紀に邪馬台国の卑弥呼が存在していたことが中国の歴史書から明らかになっていますが、邪馬台国が九州にあったのか、奈良にあったのかは、未だに決着がついていません。ただし、ヤマト政権(大和朝廷)と邪馬台国とは異なる勢力と見なす説もあります。しかし、ヤマト朝廷が奈良県北部に存在していたのは、歴史書や古墳の存在などから明らかになっています。

 

コラム 「古事記」に見るヤマト政権の成立

神々の住まう高天原から地上の葦原の中つ国(あしはらのなかつくに:日本、現在の宮崎県高千穂)へ神が降臨。その神の3代目がカムヤマトイワレビコ、別名「神武」といい、後の初代天皇となります。カムヤマトイワレビコは、葦原の中つ国を治める為に、筑紫、讃岐、吉備と東へ進み、最終的に奈良周辺を支配していた指導者を滅ぼし、都を畝傍橿原宮に遷都し、初代天皇として即位しました。現在、この地には橿原神宮が創建されています。

 

  • 古事記の冒頭3分の1の部分くらいまでは、神話の世界であり、虚実が入り乱れた話になっており、神武天皇が実在したかどうかは定かではありません!歴史の神秘!

 

古墳

古墳時代の名前の由来になっている古墳とは、大王(おおきみ)や豪族の巨大な墓です。簡単に言えば、日本版のピラミッドようなものです。しかし、古墳の形は三角形ではなく、丸型の円墳、四角い方墳、そして、それらを組み合わせた前方後円墳が日本の古墳の特徴です。人の骨は、長い年月を経て、ほとんどが土に帰ってしまいますが、人と一緒に埋葬された様々な品物(副葬品)が出土しています。

 

前方後円墳

 

  • 副葬品:銅鏡・玉・剣・刀・甲(よろい)など

 

副葬品

副葬品

 

  • はにわ:祭りや魔除けなどの為に作られた素焼きの土器。副葬品の他に、古墳の頂上や周囲には円筒型や、人・家・動物をかたどった「はにわ」が出土し、副葬品と合わせて、当時の人々の生活を知ることが出来る

 

はにわ

 

 

問題1 人と一緒に副葬品を埋葬するにしても、ピラミッドのような巨大な墓を作る必要はないように思います。しかし、国の面積の狭い日本の古墳もピラミッドを同じく、巨大なものです。どうして、こんなに大きなお墓を当時の大王や豪族は作ったのでしょうか?

 


ヒント 有力な大王や豪族ほど古墳の大きさは大きくなり、様々な副葬品やはにわ、さらには生贄までもが一緒に埋葬されていることがあります。

 

 

解答をみる

 

解答1  自身の権力を世の中に示すため。

 

 

日本各地にある様々な古墳

  • 稲荷山古墳(埼玉県):ワタカケル大王と刻まれた鉄剣が出土。
  • 江田船山古墳(熊本県):同上

 

ワタカケル大王=雄略天皇(日本書紀)は、実在したと思われる最初の天皇。暴君、大悪天皇の異名も。九州中部~関東地方までを支配していたことがわかる。

 

鉄剣

鉄剣

 

  • 神武天皇陵(奈良県 橿原神宮):初代天皇の墓とされる。但し、実在したかどうかはわからない。
  • 箸墓古墳(奈良県):卑弥呼の墓?という説もある。
  • 大山(だいせん)古墳(大阪府堺市):世界最大級の墓。別名、仁徳天皇陵(第16代天皇)。

 

大山古墳

 

氏姓制度(ムラからクニへ)

日本各地の古墳の存在から、大王(天皇)が日本の九州から、東北南部くらいまでの間を支配していたと考えられていますが、大王の力をどのように各地まで行き渡らせていたのでしょうか?それは、中央や各地に存在していた豪族(有力者、金持ち)がカギを握っています。各地の豪族は氏と呼ばれる集団を作り、大王から姓を与えられ、地方の土地(クニ)を治めていました。これを氏姓制度と呼びます。

 

  • ムラ < クニ(豪族) < ヤマト政権(大王)

 

中央集権国家を目指す。中央は大王(おおきみ)と呼ばれるリーダーが治めていた。大王は後に天皇と呼ばれるようになる。豪族は大王に仕え、中央では大王に従属し、また地方ではクニを治めていた。

 

  • 氏【血縁関係】:葛城氏・蘇我氏・春日氏・大伴氏・物部氏・弓削氏・服部氏・・・(有力氏族の苗字)

 

当時のこれら豪族だちは、田荘(たどころ:私有地)をもち、それを耕作する部曲(かきべ:私有民)や奴婢(やっこ:奴隷)を支配していました。

 

  • 姓【職業や地位(大王から与えられる)】:臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものにやつこ)・国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)、村主(すぐり)・・・など

 

大陸との交流(大和政権の朝鮮進出)

4世紀末、大和政権はすぐれた技術や鉄を求めて、朝鮮半島に進出を始めます。しかし、なかなか上手く行きません。それでも、朝鮮半島から様々なものが伝わってきました。

 

4世紀~5世紀ごろの朝鮮半島情勢

 

4世紀~5世紀ごろの朝鮮半島情勢

 

 

百済・加羅は日本と友好的。4世紀末(400年?)
日本、加羅、百済 vs 新羅、高句麗で争い
※ 好太王の碑文・日本書紀・古事記に記述あり

 

新羅により加羅が消滅し、日本は敗北。さらに475年高句麗によって、百済の都が陥落。しかし、このことで、多くの百済系の人々が日本に渡来した(渡来人)。朝鮮半島南部を由来とする地名が日本各地に存在するのはこの為。5世紀、中国南朝(宋)に倭の王としての地位と、朝鮮半島南部の支配権を認めてもらうため、倭の五王(讃・珍・済・興・武)が朝貢する。 ※「宋書」倭国伝より

 

結果、済や武は朝鮮半島南部の支配権が認められている。 ※武は雄略天皇と推定されている。

 

復習+α 朝貢

中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、中国皇帝の臣下になることで、自らが正当な君主であると認めてもらうこと。ちなみに、貢物の数倍以上の恩賜(皇帝からの贈り物)を与えられる。一方で、毎年の朝貢、中国の元号の使用等が義務づけられ、中国から出兵を命令されることもある。まら、朝貢国が攻撃を受けた場合は中国に対して救援を求めることができる。このような外交体制を冊封体制と呼ぶ。

 

渡来人と大陸文化

渡来人とは大陸から渡ってきた人のこと。百済経由で様々なものが伝わる。

  • 新しい技術:土木技術・土器(須恵器:窯を使って高温で焼成)・鉄器製作技術・養蚕・機織りなど
  • 宗教・思想:漢字・儒教・仏教 百済の聖明王から(6世紀半ば)

 

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飛鳥時代 – 聖徳太子の時代(592年~)

古墳時代の終焉

5世紀後半になると、各地での大規模な前方後円墳の造営は見られなくなり、ヤマト政権の古墳のみが引き続き、200m以上の大型ものが作られる。しかし、5世紀末になると巨大な前方後円墳も作られなくなり、次第に小型化していきます。

 

6世紀後半の古墳

石舞台古墳・高松塚古墳・キトラ古墳(いずれも奈良県明日香村)。前方後円墳は無く、小型で簡素。

石舞台古墳

 

聖徳太子の時代

政治の中心が飛鳥に移りました(奈良県中央部、現在の奈良県明日香村)。ヤマト政権が統治していた朝鮮半島南部の任那が6世紀後半に新羅に滅ぼされる(朝鮮半島は新羅と百済になる)など、日本は朝鮮半島での勢力を失いつつありました。また、日本国内では蘇我氏が勢力を強め、対立する物部氏を滅ぼしたり、天皇を殺害するなど、政治が乱れていました。そこに登場し、政治改革を行ったのが聖徳太子です。叔母の推古天皇、そして蘇我馬子と協調して政治を行った。

 

聖徳太子

 

仏教を巡る争い

蘇我(仏教賛成派)氏 vs 物部氏(仏教反対派)。蘇我氏が勝利し、政治権力を掌握。592年、日本初の女帝、推古天皇擁立。聖徳太子が摂政となる。

  • 摂政:天皇が幼少や女性の場合の補佐役事実上のトップ、天皇代行。
  • 「摂政」は重要ワードでこの先も頻出。必ず覚えること!

 

中央集権国家の再構築 (天皇を中心とした国づくり復帰への試み)

冠位十二階(603年)

家柄にとらわれず、能力のある人材を役人に登用するための、役人の地位を表す制度。冠の色分けで地位を明確化。 

  • 位高 ← 紫~青~赤~黄~白~黒 → 位低

 

冠位十二階 帽子の色

 

憲法17条(604年)

役人の心構え、仏教重視。

  • 一、和を尊び、争うをやめ、逆らうことのないようこころがけよ。
  • 一、あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧のことである。
  • 一、詔を受けたら必ず謹んでそれに従え。 ※詔(みことのり)
  • 一、ものごとは一人で決めずに、話し合って決めよ。
遣隋使の派遣 (607年)

隋のすぐれた技術や文化を取り入れて、政治の仕組みを整える為。倭の五王による南朝への朝貢以来約1世紀ぶりに中国との外交を再開。

  • 小野妹子:第1回遣隋使にて派遣。名前に似合わず、大男。「日出るところの天子、書を日没するところの天子に致す」という国書を持参。対等な立場での外交を目指す。従来の冊封体制を受けない外交を行った。

 

小野妹子

小野妹子

 

飛鳥文化

聖徳太子が仏教を厚く信仰したことから飛鳥地方を中心に栄えた文化です。

 

特徴

  • 日本で最初の仏教文化
  • 皇族・貴族中心の文化
  • 中国、インド、ペルシャ、ギリシャなどの影響を受けた国際色豊かな文化

 

代表例

建築
  • 法隆寺:世界最古の木造建築

 

法隆寺

 

※特徴はエンタシス(ギリシアのパルテノン神殿と同じように、柱の中央部分が少し膨らんでいる)

 

パルテノン神殿のエンタシス

 

彫刻

釈迦三尊像(鞍作鳥による)、百済観音像、弥勒菩薩像など。

 

釈迦三尊像

 

工芸

玉虫厨子など。

 

玉虫厨子

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