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都道府県名の歴史を探る|旧国名や地名がたくさん残ってる

歴史マニアでなくとも、普段から使っている旧国名

古い地名と言われて、何を思い浮かべるでしょうか?戦国武将が好きな人なら、甲斐、越後、尾張、安芸、備前・・・とスラスラと出てくるかもしれません。

しかし、何をもって古い地名、新しい地名としているのかと疑問に思う人もいるかもしれません。簡単に言えば、飛鳥時代後期から明治時代の廃藩置県までの地域区分として用いられていたのが昔の地名廃藩置県以降、今私たちが都道府県名として使っているのが新しい地名です。

とはいえ、旧国名と言われるような昔の地名も、住んでいる地域の地名にもまだまだ残っている例はたくさんあります。ただ、身近な場所の名前はわかっても全国となるとなかなか名前と場所が一致しないということも多いのではないでしょうか。

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昔の地名、旧国名とは?

古墳時代が終わり7世紀ごろ、飛鳥時代になると天皇を中心とした国づくりが始まります。それぞれの地方で、独自の権力者が支配していた時代が終わり、天皇が日本全国を治める時代が始まります。俗に「大化の改新」と教科書で習いますが、そのときの政治方針こそが①公地公民、②班田収授、③中央集権です。

今回、主に関係があるのは③の中央集権です。

全国が中央政府のある「畿内」及び7つの地方「七道」に分けられ、さらにその下に細かい行政区分として国・郡・里が置かれました。今でいう県・市・村のようなものです。そして、そのそれぞれに中央から役人が派遣されました。彼らは国司・郡司・里長と呼ばれ、その土地を管理、税の回収などを行っていました。

七道とは?

七道及び畿内

まず大きな区分けである七道及び畿内を見てゆきましょう。

七道は前にも書いた通り、大きな地方区分です。今の東北及び関東・中部地方の一部は「東山道」、関東の一部、東海地方は「東海道」、北陸地方は「北陸道」、四国地方及び和歌山は「南海道」、山陽地方は「山陽道」、山陰地方は「山陰道」、九州地方は「西海道」と呼ばれました。

なお、この時点で北海道と沖縄は日本には組み込まれていません。ただ、この〇〇道というのは現在の北海道と同じ考え方で、いくつかの県が集まった地域を道と呼んでいます。

北海道は現在、丸々一つの都道府県となってしまっていますが、かつては細かい区分がありました。最近議論にあまり上がらなくなってしまいましたが、「道州制」という言葉もここから来ているわけです。

さて、残りの「畿内」は現在の奈良、大阪、京都の一部でかつての日本の中心地です。都に近いという意味合いであり、特別な地域であることから「道」は付けられていません。現在の近畿地方の名称もここから来ているわけです。

国とは?

旧国名

現在の都府県にあたるのが国です。武蔵野国、相模国、信濃国こんな塩梅です。度々統合、改変が繰り返されたようですが、最終的に68の国に落ち着いたようです。この体制は基本的に江戸時代まで続くことになります。

皆さんの住んでいる地域に密かに生きている地名と言うのは、この旧国名が多くを占めています。武蔵野市、相模原市と市の名前として残っていることがあれば、旧国名+地域の名前、例えば尾張一宮のような感じで残っている例は枚挙に暇がありません。

戦国大名が好きな人ならば、この辺はお茶の子さいさいではないでしょうか。

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廃藩置県による旧国名の消滅

天皇中心の国づくりのために設置された国ですが、その後室町時代後期の動乱、そして戦国時代を経て、その支配者は天皇から武士へと移り変わりました。

しかしながら、長らく続いた徳川将軍の江戸時代も衰え、再び天皇を中心とした政治体制に変わります。俗に言う「明治維新」です。1869年、明治政府は「版籍奉還」を実施。各大名が所有していた土地と人民は天皇に返上されます。

続いて1871年には「廃藩置県」を実施、各大名が支配していた藩(国)を廃止して、再びの中央集権化を進めます。これにより全ての大名は失脚となり、東京から、各県の長官として県令が派遣されることになりました。

近代国家への一歩を踏み出すと同時に、飛鳥時代から続いた旧国名は役目を終えることになったのです。

府県の数あれこれ

今でこそ、1都1道2府43県と、何とか暗記できる数ではありますが、「廃藩置県」当時は1使(開拓使:北海道の一部)3府(東京府・大阪府・京都府)302県と、今では考えられないほどの数がありました。しばらくは統合と分割を繰り返すことになりますが、基本的には縮小の方向で進んでいきます。

1879年には琉球王国を日本に編入(琉球処分)、沖縄県が設置されます。1882年には北海道の開拓使が廃止され、函館県・札幌県・根室県の3県が設置されました。そして、1888年にひとまずの統廃合が完了し、1庁(北海道)3府43県と現在の形に近いものになりました。

ちなみに、府というのは重要地、ないしは天皇の居る場所という意味合いで、東京・大阪・京都には今日に至るまで(東京は除く)伝統的に府の名称を使っています。

今後、都道府県の数や名称は変わるか?

さて、かつて府と呼ばれていた東京は、現在「東京都」となっています。これは太平洋戦争の戦時体制強化時に実施されたもので1943年に実施されました。簡単に言うと、東京市と東京府の合併で、より強い権限を持たせるといった意味合いです。現在、東京市がないのはこのためです。同様の議論は現在も行われています。

それが大阪都構想です。

大阪市と大阪府の二重行政を解消し、合理化を図るといった意味のものですが、仮にこれが今後実現すると大阪市と大阪府は消え、大阪都となります。さらには、過疎化が進む地方の再建のため、中央からより強い権限を与える地方分権を推し進める「道州制」も検討されています。

仮に東北地方のいくつかの県がまとめられ、新たな道となったとき、かつての旧国名の復活もあり得るのかもしれません。

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まとめ

地域の名前というものは、そこに住む人々の心にも深く浸透しています。明治維新で旧国名は表向きには廃止されたものの、地域の名称や地域のシンボルとして今にも受け継がれています。

ときおり、市町村合併や、なにか施設を作ったときに奇抜なネーミングが為される場合がありますが、おおよそにして反発の声が上がります。それだけ、地域の人々にとって地名は大事なのです。

ですから、この先何百年経っても旧国名が消えることは決してないでしょう。皆さんも旅行先で旧国名に出会ったら、是非心にとめてみてください。

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