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日本地図の原型!奈良時代の僧侶、行基が作成した行基図の特徴

日本地図の原型 奈良時代の僧侶、行基が作成した行基図の特徴

奈良時代に地図を作った僧侶、行基と「行基図」の特徴についてまとめています。

地図を作った偉人といえば「伊能忠敬」が有名ですよね。学校でもはじめて日本地図を作ったのは「伊能忠敬」と教えていますから、間違った知識ではありません。しかし、歴史上にはもっと古くから日本地図をつくった人物が何人もいるのをご存知でしょうか。

今回はそんな偉人のうちのひとり、奈良時代の僧侶、行基と「行基図」の特徴について知っていこうと思います。

下の記事では「伊能忠敬」や同じく地図を作った偉人「森幸安」についてまとめています。

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行基ってどんな人?

行基は、奈良時代の僧侶です。

「お坊さんが地図を作ったのは、意外に思う」という方もいらっしゃるかもしれませんが、行基は地図を作っただけではなく、仏法の教えを人々に説く活躍をした僧としてもとても有名な方なのです。

行基

当時は、民衆への布教活動が禁じられていたのですが、寺、橋、ため池、温泉など今でいう社会事業を成し遂げて人々を救いました。度重なる、弾圧や禁圧を行基集団で跳ね返したわけですから、その尽力は並大抵のものではなかったことが想像されますね。

また、灌漑事業などをはじめ、多くの社会的事業は、徐々に権力者にとっても望ましいことであるとされて、やがて、行基は「大僧正」という最高位を与えられるようになりました。そして聖武天皇により奈良の東大寺大仏の造立の責任者として選ばれたわけです。

これまでの社会的貢献という実績が認められから、このような栄誉ある事業を与えたのでしょう。

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行基のつくった地図「行基図」

日本で地図として記録が残っているのは、東大寺が持っていた土地の区画を示した8世紀の東大寺開田図です。

土地の種類や面積がマス目の中に書かれていますし、周辺には池や山も描かれています。その後、日本全体の地図を初めて作ったのが、僧である行基だとされています。

当時のものは現存しておらず、後に行基図と呼ばれるようになった地図は、江戸時代に書き写されたものです。そのため、江戸時代まではこの地図が広く活用されていました。

行基図

「行基図」の特徴

行基図を見て印象深いのは、諸国を円や楕円の集合になっていることでしょう。今の日本列島の地形をしっている私たちから見ると、返って簡素さが斬新に感じるのではないでしょうか。平安京のある山城国を中心にして、そこから諸国を円や楕円で連ねて行くことで、日本列島を表わしています。

そしてときが流れ江戸時代になると、印刷技術の発達で大量に印刷されるようになり行基図がさらに広まって行きました。

交通の発達が著しくなり、より正確な地図を求められるようになり、その頃に刊行された行基図が現在でも残っています。

まとめ

その時代ごとに地図は社会的な役割を持って、だんだんと進化を遂げて来ました。

行基図は、日本全体を網羅した初めての地図ですから、大きな一歩になりました。僧である行基の社会的事業を成し遂げた大きな貢献にも、まず、地図というものが無くてはできないものだったと想像されます。伊能忠敬や長久保赤水が現れる前までは用いられていました。

日本地図の原型としての功績は長く、後世まで引き継がれたわけですね。

ちなみに、参考までに「地図博士になろう! 基本から歴史・最新技術まで」という本には、行基図ほか、日本や世界の地図の移り変わりも掲載されています。

地図の移り変わりと共に、歴史があるというのも興味を惹かれますよね。

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