ご活用事例

1800年代のはじめに、正確な日本地図を作ったのが伊能忠敬です。

日本では、まだ西洋の進化した測量技術も入っていない時代であるにもかかわらず、自分の足で4万㎞を歩いて測量をし続けた魂のこもった地図です。

 

どのようにして自分の足で測量したのかは、素朴な疑問ですよね?

江戸時代にどんな風に測量し、地図にしたのしょうか。詳しい内容を見てみましょう!

導線法

伊能は、導線法という方法を用いて距離を測るときに、「梵天」という目印を建てて歩いて測量をしていたのです。
歩測と呼ばれる測量方法は、歩く幅を一定に保たなければなりません。
伊能の場合には、歩幅を69㎝に保っていたそうです。

 

500歩進んだときには、概ね350mだと計算されますね。

 

何気なく歩いているだけでは、歩幅は一定にはならないものでしょうから、伊能は一定の訓練をした上で正確に歩いていたわけです。
その他、「量程車」という道具は車輪が回転することで、距離が測定できるので用いられていました。

 

 

 

角度を測量

地図をつくるとき、距離に加えて角度も重要です。
そのために、「彎窠羅針(わんからしん)」と呼ばれている機械を使って測量していました。

 

この機械には、先端部分にいつも水平になる工夫がされていて、方位磁針がついているので方角が分かったわけです。
各地点で角度を歩測と合わせて野帳(やちょう)に書き込むという細かな作業を根気強く続けました。

 

 

星を観測して測量

忠敬は、夜になると今度は星を使って測量を行っていました。
北極星を観測することで、地球上の緯度を把握することができると思ったからです。

 

こちらの測量には、「中象限儀(ちゅうしょうげんぎ)」と呼ばれる機械を使って日本通津浦々を巡って緯度を測定しました。
こちらは、千葉県香取市にある伊能忠敬記念館が所蔵していますので、何かの機会に足を運んでみてはいかがでしょう?

 

 

「大日本沿海輿地全図」(伊能図)

伊能の粘り強い測量は、このような方法をひたすら繰り返し誤差があればその都度修正を行って行われました。

 

日本全国を旅して17年という歳月をかけて正確な地図「大日本沿海輿地全図」が生まれました。
8枚で日本地図が完成するものが「中図」です。

 

「大図」は214枚あり、より詳しくお寺や大名のお城まで日本の様子が描かれています。

 

まとめ

それまでにあったのは、長久保赤水の日本地図は日本で初めて経線や緯線が描かれたもので明治時代初期まで使われていたのですが、伊能忠敬の功績によりさらに正確な日本地図がこのような方法で完成したのです。

 

日本は島国ですから、海岸線の複雑な地形や足元の悪い地形には相当な困難を極めたでしょう。

 

道具と自らの身体を使い、こつこつと地道に歩くことで完成した地図ですから、どれだけ貴重なものであるかわかりますね。
「伊能忠敬 (コミック版世界の伝記)」は、数ある伊能忠敬に関する書籍がありますがその中で子供でもわかりやすいもので好評です。
もちろん、大人でも再発見もありそうですね。

 

 

 

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